「グーグルゾン物語」を読み解く(4)
「JRの脱線は知人が携帯電話に送ってきた写真で知った」――。日経メディアラボは大ニュースの発生がどんな手段で伝わるのかを探るため、兵庫県尼崎市での脱線事故を例にインターネット調査(6月に実施)で情報収集の方法を約千人に聞いてみた。テレビ、新聞、ネットを組み合わせて事故の情報を入手する人が最も多かったが、携帯電話で第一報を知ったという人も少なくなかった。カメラ付き携帯電話の普及に伴い、知人から受信した写真がニュースの第一報だったという人が今後も増える可能性は高い。「グーグルゾン」を読み解く最終回は市民がニュースを発信する時代を検証する。
「EPIC2014」の続編には、米アップルコンピュータの携帯音楽再生機「iPod(アイポッド)」が進化した機種として、無線LAN(構内情報通信網)機能とカメラを搭載した「ワイファイ・ポッド」=写真=が登場する。ネットを使った簡易型ラジオ放送「ポッドキャスティング」も進化して、映像を含んだコンテンツ(情報の内容)をワイファイ・ポッドで送受信するというコミュニケーションが流行するというのがグーグルゾンの物語だ。
映像ニュースの取材方法はフィルムで撮影する取材方法からビデオテープを使うENG(電子ニュース取材)、衛星を使いニュース素材を伝送するSNGへと進化してきた。カメラ付き携帯電話のブロードバンド(高速大容量)化が進めば、市民が発信する映像情報を集めて構成する「PNG(ポッド・ニュース・ギャザリング)」の時代が到来する日も近いだろう。ロンドンの同時テロ報道でも市民が携帯電話のカメラで撮影した事件現場の写真や映像は頻繁にニュースの素材として使われた。市民が撮影した映像を報道機関が積極的に活用する現象を「ポケットジャーナリズム」と呼ぶ人もいるようだ。PNGの「P」はポケットジャーナリズムの「P」と言えるかもしれない。
米クリントン政権で副大統領として「情報スーパーハイウエー構想」を提唱したことで知られるアル・ゴア氏はネット検索最大手の米グーグルと連携して、若者向けテレビチャンネル「カレント」の準備を進めている。視聴者が自作ビデオをカレントのサイトに投稿し、ネットによる人気投票でテレビ放映する作品を決めるという。
「ブログ(日記風の簡易型ホームページ)への書き込みに始まり、携帯型カメラでの画像撮影や映像リポート、そして綿密な調査報道にいたるまで、今や誰もが記事を寄稿するようになり、多くの人がそれで稼ぐこともできる。記事の人気に応じて、グーグルゾンの巨額の広告収入の一部を得るのだ」。こんなEPICの一節をゴア氏らが意識しているかどうかにかかわらず、EPICが語るメディアの近未来を連想させる話題は増えている。カレントは「ビデオブログの実験」とも言われており、視聴者という立場だった市民が映像を使って自ら情報発信する時代の本格的な到来を予感させる。
市民によるニュース発信をネットの世界で実践している例としては韓国のネット新聞「オーマイニュース」が有名だ。創刊は2000年2月。「市民参加型ジャーナリズム」を掲げて、5年以上の実績があり、記事を投稿する市民記者は3万6000人にのぼるという。記事の反響の大きさに応じて、読者から提供される原稿料がアップする仕組みを採用しており、広告料収入の一部を記事の人気の高さに応じて執筆者に配分するグーグルゾン方式に似ている。
オーマイニュースは2003年に黒字転換を果たした。メディア企業の経営者としても成功を収めつつある呉連鎬社長は6月の来日時には経済ニュースの強化に加え、携帯電話向けデジタルマルチメディア放送(DMB)へのニュース番組提供などにも意欲を見せ、市民参加型の手法を映像分野にも広げる考えを強調していた。オーマイニュースの成功例はメディア企業の多くが注目しており、ネットを活用した新しいビジネスモデルを模索する米国の新聞社などもオーマイニュースを積極的に研究している。
日本でもネットの世界に「オーマイニュース」モデルを導入しようとする動きは一時期、活発だった。ライブドアの堀江貴文社長も「オーマイニュースを参考にして、日本でも市民ジャーナリストとして市民一人一人が注目される記事を書けば、誰でも情報の一次的な出し手になれる」などと発言。「グーグルゾン」をも意識した発言と見られたが、その後、同社は無線LAN事業への参入も表明した。
市民記者によるニュース発信はライブドアのほか、ネット新聞「JANJAN」などが試みているものの、現段階では成功と呼べる事例がほとんどないのが実情だ。呉連鎬社長は著書「オーマイニュースの挑戦」のなかで、日本の現状を「(市民が記事を投稿できる)インターネット広場を開いても若者の参加が低調」と分析している。
オーマイニュースの売り物は政治ニュース。これが韓国の既存メディアや政界に不信感を募らせていた若者に受け入れられた。一般に日本では若者は政治への関心が低く、むしろ生活や地域に密着した話題のほうが、市民の情報発信になじみやすいようだ。日本の新聞社でブログを初めて本格導入した神奈川新聞は「県知事の発言についてのニュースよりも生活に密着したゴミ問題、鉄道の話題などに(読者からの)コメントが寄せられる」(松澤雄一デジタルメディア局長)と市民からの反応について分析している。
「ジャーナリズム」と大上段に構えるよりも、生活密着型の情報を交換するコミュニティーを形成する手法の方が、呉連鎬社長が「インターネット広場」と表現する言論空間を日本のネット社会に根付かせやすいのかもしれない。神奈川新聞の松澤局長はブログサイト「カナロコ」で情報を発信する市民について「(サイトに情報を寄せてくれる)『ホロホロさん』が市民記者という意識はない。『市民』として情報を発信している」と説明している。
ただ、ゲーム規制問題をめぐって神奈川県知事のブログにコメントやトラックバックが殺到したように、今後も「サラリーマン増税」問題など生活に密着した話題を中心に市民の発言が誘発される事例は日本でも増えると見られる。ブログやポッドキャスティングの仕組みを活用した市民による情報発信が一般的になれば、既存メディアの記者と市民がニュースや評論の発信者として共存する時代も訪れるだろう。
米国では記者の取材源秘匿をめぐる問題が注目されている。取材源を明かさなかったニューヨーク・タイムズ紙の記者が収監されてしまったため、記者に「取材源の秘匿」を理由に裁判で証言拒否できる特権を認める連邦法をつくる必要があるとの議論が活発になっている。しかし「市民記者」が台頭するなかで、プロの記者だけに特権を付与することは困難だとの見方もある。メディア部門を持つテロ組織を取り締まれなくなるという懸念もあるという。
日本でも証言拒絶罪で朝日新聞社の記者が起訴された事件が過去にあり、米国と同様の問題は今後も起こりうる。そもそも記者とは特権を持つ存在ではなく、「市民の代表」という存在のはずだが、既存メディアの記者と市民記者が共存する時代は両者の境目をどこに設けるのかという問題を突きつける。グーグルゾン物語が問いかけているメディアをめぐる社会的な課題は多い。
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