メディア攻防第2幕の「鑑賞法」
楽天のTBS株大量取得は、新興ネット企業が既存メディアに「待ったなし」の判断を迫っている構図を浮き彫りにした。既存事業を堅持しつつ、ネットの新事業をじっくり育てようと構えていた既存メディアと、先を急ぐネット企業との時間感覚のズレが目立っている。
(関連記事「メディアラボの目」)
「データベースマーケティングの取り組みによる広告の高付加価値化」。楽天が13日、TBSに提出した「世界に通用するメディアグループ設立のご提案」にはこんな文字が盛り込まれている。楽天は仮想商店街の最大手。ネットで買い物を楽しむ消費者のデータを握っている強みがある。放送局の持つ映像コンテンツ(情報の内容)をネットで有効活用すれば、ヤフーにも劣っている集客力を飛躍的に高め、顧客それぞれの嗜好(しこう)に合わせて商品やサービスの価値を伝える「ターゲティング広告」が可能になるとの読みだ。
「広告の高付加価値化」はテレビ局にとって現在最も重要な経営課題だ。今春、野村総合研究所がハードディスク駆動装置(HDD)レコーダーを使った「CM飛ばし」による広告費の損失額は540億円との試算を公表し、電通が猛反発した一幕があった。ただ、広告業界の中にも「CMスキップという視聴行動は間違いなく進む」(博報堂DYメディアパートナーズの中村博メディア環境研究所長)との指摘があり、テレビ局ももはや問題を軽視できない状況に置かれている。
日本民間放送連盟が始めた、8月28日を「テレビCMの日」とするキャンペーンを見た人も多いだろう。「民放のCM開始は1953年。50周年の節目でもないのに、突然、CMの日と言い出したのはテレビ業界が危機感を強めたことの現れ」(電通OBの北野邦彦・帝京大教授)とみられる。もちろんテレビ局は単に危機感を募らせているだけではない。日本テレビ放送網が27日深夜に始めるネットでの番組配信事業「第2日本テレビ」など、ネット事業をテコに放送外収入を増やす戦略を打ち出しているところも多い。
TBSも従来は著作権処理が困難とされていた連続ドラマなども含め、番組をネット配信する事業を計画するなどで無策だったわけではない。ただ、突然登場した筆頭株主の楽天からネットを経営課題としてもっと真正面から受け止めろとにじり寄られ、焦りの色を隠せないのが現実だろう。既存事業を堅持しつつ、ネットによる番組放映という新事業を自社のペースで育てようという戦略は見直さざるを得ない。
楽天がTBSに経営統合を提案した同じ13日(日本時間)、米アップルコンピュータはテレビ番組などの映像を再生できる新型「アイポッド」の製品発表をした。米ABCの人気ドラマなどの映像コンテンツをダウンロードして、好きな時間に視聴できる生活スタイルを提案したのだ。テレビ番組のネット配信が始まろうとしている日本でも、放送がインターネット経由で「ポッドキャスティング」される時代の到来も遠くなさそうだ。
この日のアップルの発表はビデオ視聴に話題が集中したが、裏で新しいサービスも始まっていた。楽曲の購入履歴をもとに、ユーザーの嗜好(しこう)に合致していそうな別の曲を紹介する「ジャスト・フォー・ユー」=写真=だ。書籍のネット通販大手、アマゾン・ドット・コムと同じ手法で、アップルは「パーソナライズが可能な楽曲レコメンド(推薦)機能」と説明している。
電子書籍やテレビ番組、音楽などをユーザーの好みに応じて提供するコンテンツ配信のプラットホーム(基盤)は、米国メディアの未来を予測した短編映像「EPIC2014」に登場する企業「グーグルゾン」を想起させる。グーグルゾンは広告もユーザーの好みに応じて提供する。「CM飛ばし」も起こりにくいだろう。楽天の映像コンテンツを活用したデータベースマーケティング戦略がこうしたメディアの未来像と重なり合うとき、楽天のTBSへの「ご提案」はTBSから見ても魅力的に映るはずだ。
ただ、楽天とTBSの経営統合構想が実現するには課題が多い。例えば、「放送とネットの融合」についての基本認識の違いだ。楽天の提案には両社の経営統合のメリットを説明するこんな一節がある。「東京放送(TBS)の様々なコンテンツが従来の無線通信という配信手段に加えインターネットを通じて広く提供される」。あえて「放送」を「無線通信」と表現し、通信の一形態と位置づけている。「放送と通信は協力関係にはなるが、融合はあり得ない」(民放連会長の日枝久フジテレビジョン会長)という見解のテレビ業界を挑発するような文言だ。
ニッポン放送の経営権をめぐって争ったフジテレビとライブドアは提携して「協力関係」を模索することで話が落ち着いた。フジテレビ側が「融合はあり得ない」とライブドアを押し切った格好だが、今回の「第2幕」を見ていると、既存メディアと新興ネット企業は「協力関係」よりも、本質的にメディアの覇権をめぐる戦いが避けられないという現実を実感させる。
(山根昭)
コメント